私の会社名はワイ・イー・ワイ
もとと言えば、遺影のシステムを作る会社です。
当時、1993年ころにAppleがMacintosh Quadra 800やCentris 650を出しました。
これにて今までの写真をデジタルに変更いたしました。
そうすることによって写真屋さんでは間に合わないタイムリーなモノができあがるようになりました。
さらにその前はカラーコピーで拡大連写を試みて、パネル板に張り合わせてA1サイズまで写真を引き伸ばしていました。
しかし、FujiのKaleida A1のプリンタ(160dpi)とQuadra 800、それも8MBを搭載させたマシンにPhotoshop 2.0を走らせて作り出すように、そして通常の遺影には三菱の昇華型プリンタの出現により写真をデジタル出力することに成功しました。
今日、日本外国特派員協会の展示委員会の祝賀会にて肖像写真を展示する石引さまにお会いしました。このお方は大東島にて多くの人たちのポートレイト写真を撮影されてきまして、来月、FCCJにて展示する予定です。こちらがFBの肖像カフェのご案内です。
今日は、公益社団法人 日本プロスキー教師協会のアーカイブ写真集でした。
そうそうたる顔ぶれの人たちの写真が並びました。
今、平昌へ出向いて指導されているメンバーの昔の写真も飾られております。
著作権があるので、ここではお見せすることが出来ないので申し訳ございません。
そんな中、石引さまと偶然に肖像がは大切ですよねと言うことで、実は、私の会社は遺影を作成する会社から始まりましたと。
そこで、日本写真館協会とのつながりで葬祭業で有名なアスカネットさんの協力のもとで遺影にも使えるポートレイト写真の展示を開催さたと。
そもそも、遺影と言うのはポートレイトです。
私が葬儀社の社長をしていたころ、故人さまのお写真が運転免許証の写真しかなく、これを引き伸ばしたことがいくどもあります。本当に何もないのですか?と聞き直します。
たぶん、あるだろうけど、遺族としては探すのが面倒くさいとか、ふざけた写真とか、場にそぐわない写真だろうと言うことで堅物の運転免許証の写真を取り出してきます。
私からしたら、これは問題外だなと。
今、思い返せば、そのような経緯もあり世間にポートレイト用の写真は遺影に使えるのでワイ・イー・ワイと言う会社を設立しました。会社設立以前まで、私は「日本大判写真家協会」と言うところに所属し、蛇腹がある4×5(シノゴ)のカメラ以上を扱うグループでスタジオライティングの講師まで努めていました。そのとき、私は渋谷の日本写真芸術専門学校(当時、校長が秋山庄太郎先生)のスタジオライティングコースに通っていました。更に日本大判写真家協会の玉田勇会長はそこの講師でもありました。
今は、ライティングに関してのホームページを封鎖していますが、実は当時参加者の個人名を削除し、構成だけ整えれば mms.yey.co.jp に公開したいと思っていますが、当時作成したアプリがないので、そこのコンバートから始まります。
話がズレました。
そんな中、ポートレイト写真は人生の最後を飾る写真であると。
葬儀のときに、あなた(亡くなったときに)本当に自分が選んだ写真を使ってくれるか保証はありません。これは遺族に権利を委ねることになりますので。
だからこそ、よい写真、それも自分らしさの写真を残して、常々に家族に「この写真を」と伝えて、その写真のありかを伝えておく必要があります。
更に、その写真は幾度でも撮り直しても良いんです!
極端な話し、毎日、自分が自撮りして、どこかに保存し、残された家族に「この最後の写真ね」と伝えておくのもいいですし、1枚ではなく、シリーズでもかまわないと思います。
はい、メモリアルパネルみたいなのを飾っても良いと思います。
ただし、火葬場へ持っていけるのは1枚ですが、ご葬儀で飾るのは1枚でけでなくてもいいんです。そのことで本日、盛り上がりました。
皆さんもお写真を日々、お撮りされていらっしゃいますでしょうか?
以前、私は出張スタジオをやっていました。
そして剣道の仲間をかなり撮影いたしました。
この写真は2016年10月16日のインターネット闇市で60Mピクセルのカメラで撮影したものを加工しました。
カラーでなくてもいいんです。
最後に再度、申し上げておきます。
ご自身のお気に入りの写真をみんながわかるように保管していおいてください。
多数あるなら、多数でもいいので!
照れくさいとおっしゃらずにポートレイト写真はご用意しておいてください。
[…] 遺影は大切 […]