葬儀業界における自動運転導入を考える
葬儀業界というのは決してなくならないといえるが今、多くの局面を迎えている。
弊社は葬儀業界に特化しているシステムインテグレーターです。
しかも、この産業に先祖代々(江戸末期から)葬儀に関わってきている家族です。
古い歴史からすると、葬儀は「葬列」を組んで人が肩に棺(昔は「座棺」で樽型)を結いて神輿のようにして担いで墓地へ埋葬していた。
それが産業革命において進化し、馬車や今では専門の霊柩車になっていった。
霊柩車の歴史と「宮型」の盛衰
日本における霊柩車の夜明け

日本の霊柩車の歴史は、1920年代後半からです。
これは全霊協のホームページにも記載されています。
- 輿(神輿のコシです):遺体を納めた棺を担いで運ぶもの。屋根は唐破風で、宮型霊柩車の原点です。
- 駕籠(カゴ)です:よく時代劇で見る「カゴ」で明治初期頃まで使用していました。
- 棺車(カンシャ)です:少ない人の手で大八車(リキシャ)に輿を乗せて人を運んでいました。
- 初期の霊柩車の登場:これがで現れたのが1920年代後半です。
うちでもトヨタの初期のが長年倉庫に眠っていましたが弟が処分してしまいました。
この変革のなかで、宮型、洋型、バン型、バス型などがあり、今ではバスと宮型はほとんど見られなくなり(地方の一部ではたまに見かけます)が多くが洋型(アメリカンスタイル)とバン(アルファードみたいな)が主流になりました。(もちろん軽自動車のバン型も存在します)。
なぜ宮型霊柩車は消えたのか?(表と裏の理由)
最近は洋型が増えたのは住民感情の配慮で「宮型禁止」などで多くが反対運動を起こし、衰退していきました。
更に90年代頭にバブル経済が吹っ飛び、小泉内閣が規制緩和し、1社2台しか持てなかった霊柩車規制を撤廃しましたが、すでに遅しでした。
実際、東礼自動車(全霊協の会長)のホームページからも読み取れるように高度経済成長のときに野辺送り(葬列を組む)ことが交通事情で困難になり霊柩自動車業が「近代産業」として発展しました。
今、この宮型霊柩車が減った理由は目立ちたくないと言うのもあれば、宮型霊柩車を保有したくてもできなかった葬儀社の妬みもありました。これに関しては、逆の立場からみたら規制があった時代に「保有できなかった」のは、資金力等の問題だけでなく、そもそも「規制のせいで枠が空いていなかった(新規参入できなかった)」という側面も強いことも頷けられます。
さらに同時に白木の「輿」の祭壇も減る時代が訪れました。
葬儀社が祭壇を作るにも、「輿」の手入れに非常に手間がかかり(石油系の液体で汚れ落とし)、祭壇を生花店にアウトソースするようになりました。
ホテル葬や偲ぶ会でも輿を持ち込むことが禁じられたせいもあり、もちろんホテル葬の場合は「骨葬」で遺骨になってから(ご遺体を持ち込むことは禁止)、行うので、必然と出入りの花屋さんに任せることになり、花祭壇が主流になりなした。
あとは、霊柩車同様に小さい葬儀屋さんは道具を保有していないので花屋さんに斬新なデザインを任せるようにもなり、急激に白木の祭壇が霊柩車同様に減りました。
宮型霊柩車は皆さんがよく知っている飾りが多くついているのもあれば、葬儀の祭壇の白木のもあり、この白木の霊柩車も非常に管理が難しく、ホコリから守る必要があり、必然的に姿を消すことになりました。しかしながら、まだ京都や地方でも見かけることがあります。
実際、管理コストが掛かるのと、葬儀の簡素化と低価格化も進むようになり、安価な洋型(もちろんうちみたいにロールスロイスのクラシックカーの霊柩車などもあります)が市場で受け入れられるようになりました。
あと、宮型霊柩車では病院に出入りができないので、一石二鳥の洋型やバン型が運営コストを下げるためにも普及するようになりました。今は軽自動車を少し改造した「軽バン型霊柩寝台車」も存在します。
これはあまり改造が必要なく、ストレッチャーとローラー(棺を移動させる貨車)を取り付ければ4ナンバー型の荷台が広いものであればすぐ変更ができたのと狭い道路でも走れるので扱う業者が増えました。
規制緩和と業界の足の引っ張り合い
規制緩和を施した小泉内閣と業界内部の事情があります。
バブルは90年代に弾けました。
そこから10年余りで小泉内閣が竹中平蔵氏が経済産業大臣を務める民間大臣が派遣法やさまざまな規制緩和を施しました。
かつては霊柩免許の取得が非常に厳しく、宮型霊柩車の車両数規制で既存業者が守られていました。
霊柩運搬業務を行う都内の企業などは「葬儀」をしないことで免除されていたのかと思います。
だから東京寝台や東礼などが運営できたのもあります。
このような会社があったからこそ、東京の葬儀社は自前で霊柩車を保有することが必須ではありませんでした。火葬場へ向かう霊柩車だけでなく、病院からご遺体を運ぶ霊柩車も保有していたところは多くありませんでした。もちろん、大きい会社は自前で持つことで臨機応変に対応できました。
しかしながら、規制緩和をした時点ではすでにバブルは崩壊、規制撤廃したために自由に増車や新規参入者が増えているなか、葬儀は簡素化に進む一方でした。
このときに家族だけで営む「家族葬」の思想が生まれました。
過当競争のはじまり、宮型霊柩車を保有できなかった業界内部のネガティブキャンペーン、時代遅れのイメージを作ったのも衰退の原因の一つである事実だというまでもありません。
もちろん、宮型霊柩車は上に「神輿」が乗っているので重量もあり、しかもヘビー級なのでリンカーンやキャデラックも含めてエアサスの故障も相次ぎました。
当初はこの手の車を利用していたのは国産はパワーがないから、これも必然的にアメ車が普及しました。
やがてクラウンやプレジデントの性能が上がり利用されるようになりましたが、すでに時代は遅し。
その中でも、当方は日本葬送文化学会(当初は「葬送文化研究会」)に所属しており、葬儀の文化を研究及び守ろうという志があり、会員は全葬連だろうが互助会であろうが守ろうとしていましたが、これも虚しく世間の簡素化と低価格化の波には負けました。
規制と時代のズレというのがこうも産業を変容させてしまいました。
次なる波「自動運転」をどう捉えるか
そして、次に訪れる大波は自動化です。
自動車(運搬)を自動化する。
今、自動運転技術がかなり進んでいます。
実際レベル3までは達しています。一部タクシーやバスなどではレベル4を実験しています。
以下の表が、自動運転のレベル定義です。
自動運転のレベル定義(SAE基準)
自動運転のレベル定義と「責任の所在」
現在、世界共通で「レベル0」から「レベル5」までの6段階に定義されています。
重要な境目は「レベル2」と「レベル3」の間です。ここで責任の所在が「人」から「システム」へ移行します。
| レベル | 名称 | 運転の主体 | 内容・現状 |
| Level 0 | 運転自動化なし | 人 | 従来の車。警告音のみなど。 |
| Level 1 | 運転支援 | 人 | 自動ブレーキ、前の車についていく(ACC)など。今の新車の標準。 |
| Level 2 | 部分運転自動化 | 人 | 【現在の主流】 ハンドルとアクセル・ブレーキを同時に支援。レーン維持など。 ※あくまで「支援」であり、責任は運転手にある。 |
| Level 3 | 条件付運転自動化 | システム | 【大きな壁】 高速道路の渋滞時など「限定条件」でシステムが運転。 緊急時は人が交代する必要がある(よそ見はOKだが、居眠りはNG)。 ※ホンダのレジェンドなどが一部実現。 |
| Level 4 | 高度運転自動化 | システム | 【特定エリアの無人化】 「特定のルート」「特定の敷地内」などで完全無人運転。 バスやタクシーなどで実証実験中。 ※運転席がない車も想定される。 |
| Level 5 | 完全運転自動化 | システム | 【究極の自動化】 場所や天候を問わず、どこでも無人運転。 実現はまだ数十年先と言われる。 |
「レベル2」の段階で「責任は運転手にある」。
ここからが問題です。
現在、技術的にレベル3はこなしています。
表に記載しているように、しかも限定条件つきです。
どの道、責任は運転手にあるのがわかるのが「緊急時は人が交代する必要がある」と明記されています。
これでは今と同様です。
しかも霊柩車は地方でない限り、一部有料区間や橋や高速道路に乗ることはあまりないでしょう。
都内でも首都高速を走ったほうが便利な場合もありますが、時間が読めないので病院から安置場へお連れする場合を除いては活用しないでしょう。
あとは無料バイパス(自動車専用道路)など、一部費用徴収しない特区(三陸自動車道や三遠南信自動車道、その他地方活性化の高速道路)を走ることはあるでしょう。
この場合のレベル3はシステムで走ることです。
先日、ビッグサイトで開催されているモビリティ関係の展示の「オートモービルワールド2026」で多くの開発会社さんにお話を伺いました。
現状、法整備が整っていないのもあり、責任所在が不明でレベル4までは達成できるが、事故が起きても責任所在がわからないので、導入したくない意見が多かった。
レベル3に潜む「責任の罠」
ここで最も警戒すべきは、レベル3における責任の所在である。
実際はレベル3稼働中はシステムなのでメーカー側に責任が生じます。
定義上、システム稼働中の責任はメーカーにあるとされている。緊急時に人が交代する必要がある以上、実務上の責任を切り分けることは極めて困難であることを忘れてはならない。
「薬害エイズ事件」の教訓
これを過去の「薬害エイズ事件」に照らし合わせてみてください。当時、非加熱製剤を承認した国やメーカーだけでなく、現場の担当者も責任を問われました。
当時の薬害エイズ事件で旧厚生省の役人と非加熱製剤を提供したミドリ十字社(現在三菱ウェルファーマ社)の担当者が有罪判決を受けており、開発者などが有罪になる可能性もある。
自動運転車が事故を起こした場合、「システムだから」という言い訳は通用せず、現場の運用者(葬儀社・霊柩業者)がトカゲの尻尾切りに遭うリスクがあるのを忘れてはならない。
さらにオンザフライアップデートが可能になっても、それを怠ったユーザ側(運行管理者など)にも責任が追求される可能性もあるだろう。
つまり、定義上はシステムだが、実務上は人に責任が降りかかるリスクがありそこを見分けることは容易ではない。
レベル5になる場合は道などの社会インフラにセンサーやビーコン、タグを埋め込む必要も出てくるので莫大な投資コストが必要となるので現実的ではない。
しかしながらあと10年(2035年以降)にはレベル4まで達する技術が多くの車に搭載される見込みもあるでしょう。だが、緊急時にはどうしたらいいのか。
人間だからこそできることがあるが、機械にそこまでできるだろうか。
未だにテスラも事故を起こしている。
ここは事故が起ったからではなく、事故が発生した場合の責任所在をどう日本の当局が解釈するか。
「無人化」は葬送文化に馴染まない
そうなると、無人化ではなく、安全をどう提供するかが業者の役目になると思う。
そして、葬送文化のおもてなしをどう継承していくか。
宮型霊柩車が衰退したのと同様に文化をどう継承及び維持していくかが問われるはず。
霊柩車こそ、音がなく走ることが危険であろう。
プリウスなどのハイブリッド車も車が近寄っていることを知らせるためにわざとあのような音を発信している。
次に指定の道(自社式場または指定の式場)から火葬場までのみに限定することである程度は回避できるが人がいない、または高齢者が多い過疎地ではあと5年、10年もしたら葬儀社が中心になる社会になる可能性が見えている。
それは、葬儀社が病院、葬儀社が霊柩車手配(または自社)、葬儀社が役所届け(死亡届など)、行政書士への連絡、遺された親族への通知などの手配をする役目が回ってくるだろう。
つまり過度なソフト面をサポートする産業に変容する可能性も見えている。
葬儀業界が目指すべき未来の形
結論として、きれいな歴史の裏には非常に残酷な教訓があることを認識してほしい。
1. 「衰退」の人日は時代の変化ではなく、「業界の自滅」
- (誤った解釈)単に維持費がかかるから、住民が嫌がったから減った。
- (本来の意図) 規制で守られていた時代の「同業者間の妬み」が、ネガティブキャンペーン(宮型=悪)を助長した。そして、小泉改革でハシゴを外された時には、もう手遅れだった。
業界内部での足の引っ張り合いに外部環境(住民感情)の変化に飲み込まれました。
2. 「自動運転」は、便利な道具ではなく「新たな責任の罠」
- (誤った解釈)レベル3は便利だが、法整備がまだなので気をつけよう。
- (本来の意図) メーカーは「システム責任」と言うが、いざ事故が起きれば「現場の運用者」がトカゲの尻尾切りに遭う。
「薬害エイズ事件」を見ろ。承認した国やメーカーではなく、現場が裁かれるリスクがある。安易に飛びつくな。
3. 我々が売るのは「ハイテク」ではなく「心(文化)」
- (誤った解釈)技術をうまく使ってサービス向上しよう。
- (本来の意図) ハードウェア(宮型や自動運転車)に踊らされるな。かつて宮型という「物」に固執して失敗したように、自動運転という「物」を売りにしてはいけない。
過疎地で人手が少ないところではやむを得ずの場合が今後あるかも知れない。だが安全と人の心と文化を担保する葬送儀礼においては必ず「ソフト」面である人のおもてなしが必要であることを忘れてはならない。
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