日本の8割以上の葬儀が仏教式の死生観であって、葬式仏教と言われながらお寺と一般人とのズレがある。なかなかこの開きが狭まらない。どこかに根本的な間違いがあるわけで、平行線をたどっています。
今日のお話は:葬式仏教は葬儀不要論になるのか?

AIのClaude 3.5との対話をブログでも書いたが、葬式仏教というのは昨日今日はじまったことではない。
そもそも江戸時代から明治になって土地改革がはじまり、近年では戦後GHQによって国家神道の解体、そして高度経済成長によって人々の宗教への関心がより薄くなり、今日に至るわけです。
しかも今までは、そっと忍び寄った変化でコロナにて、一気に在宅だ〜!オンラインだ〜という急激な変化とは大違いです。
歴史的背景から寺子屋がなくなり、寺院が教育する場ではなくなった。
小学校ができたからです。
更に寺院と世間とのコミュニケーション不足により檀家制度崩壊にもつながったともいえる。
学者の目から見なくても、明らかに世間と宗教の意識の差があるのはわかる。だが、それなら、どうしてオウム真理教や世間を騒がした統一教会や幸福の科学みたいな新興宗教に人々は吸い寄せられるのか。
簡単に言ってしまうと、誰しも苦しいときに心の拠り所がほしい。
「神様!」って叫んでしまうのと一緒ではないか。
人間の深層心理に「神」の存在があるのだろうか、それとも道徳教育の時点で人々は神の概念を植え付けられるのだろうか。
「あ〜、そんなの関係ね〜!」
いいんです。
人、それぞれで。
ただ、今、一番困っているのは廃寺で崩壊しそうな仏教業界です。
もちろん、神社もです。
日本には7万6千院くらいのお寺がある。
正確な数字でいうと76,660院で、現在のコンビニの数の52,380店よりも多い。
2024年現在では約2万のお寺が住職不在とも言われています。
そこから2万を差し引いたとしても5万6千以上もあり、まだコンビニよりも多い。
余談ではあるが、2022年10月の統計データによると歯科医は全国で67,700軒あるとのことで、どれくらいお寺があるかが想像がつく。
実際、歯科医がコンビニほど目立たないのは路面に面していないところが多いので目に入らないだけである。
脱線したので戻すが、今、改葬の数が増えているのをご存知だろうか?
改葬というのはお墓を引っ越したり、お墓をギブアップすることである。
改葬のあと、どうなるのかというと、多くが樹木葬で小さなところや納骨堂に入ったり、または海洋散骨に移行している。
鎌倉新書の調査によると2022年の改葬件数は過去最大の15万軒を超えたとのことです。その一部は鎌倉新書の子会社になったハウスボートクラブさんが請け負っている(ここの社長と創業者は私の友人なのであるが)。
さて、その中で葬式仏教となってしまった要因はいくつかあるが、最終的な決め手は明らかにお寺と人々との意思疎通ができなくなったからとも言える。
そして、近代住宅では居間、床の間、仏間の中で床の間と仏間が消えたところにも注目してもらいたい。つまり仏壇を置くところがなくなった。
では、皆さんは追悼していないのかというと、そうでもなく、改葬したところ、一部は手元供養になったりしているのも事実である。
手元供養で大きい産業は、ペット供養だろうと見ています。
ワンちゃんや猫ちゃんは自分が苦しいときに寄り添ってきてくれたからだろうと。奥さんが自分の旦那に寄り添ってもらえたのはいつだ?って思うと、厳しいだろうと。
これは笑い事ではないんです。
次に、この葬式仏教がもたらす影響で、お寺は要らないという考えに必ずたどり着きます。
お付き合いがないお寺にどうして、意味不明のお経を聞かされ、お布施を払わねばならないのかと考えるのがスジです。
お寺からしたら、ちょっと待った!ですが。
私と仲が良い僧侶の一人は、LINEで日ごろ檀家さんとのやり取りをしています。
さすが営業熱心というのか、お寺の意味と存在をお伝えしているだけあるなと。この前、そのお寺さんに納骨堂の契約書を見直すので、相談に乗って欲しいと言われて、ツッコミを入れたところでした。
修正して本部に提出したら一発で了承されたと。
そんな中、お寺で色々な勉強会や集まりをしていたので、私が使わなくなったマイク、スピーカー、アンプシステムを一式奉納しました。
「声を上げるのも大変でしょ」って。
そのような布教活動をしているところは安心ですが、普通はお寺との縁が遠のいているところが多いです。
私の従兄弟も横浜の僧侶で、ゴルフ三昧で腕はプロ級らしいが、ガンバって布教活動しており、文句をいうお寺さんは、ほぼ何もしていないことがわかり、その住職等を叱ったと言ってました。
しかも、コロナ禍にて、お葬式は近親者だけで済ませればいいという考えが世間一般に根強くなり、今までお付き合いがあった方々と疎遠にもなり、「助さん格さん、もういいでしょ」的にもなりました。
実際、老々介護で大勢が疲弊していて、しかも多死社会でお葬式の意味合い、
人との付き合いも希薄になってしまったことあり、家族葬や直葬が増えたのも事実です。
だが、幸いにも人にはまだ追悼とお参りの心が残っており、2023年から2024年にかけて、家族葬の形が50%を占めている中、鎌倉新書の一般葬の調査では2022年からに比べて4.2%増加したとのことです。
そして葬儀費用も同じく総額が118.5万になり、前年度よりも8万円増加したとのことです。
葬儀社からしたら、ありがたいことではあります。
しかしこれはあくまでも全国平均で、東京都内では未だに厳しい状況が続いています。
直葬の数も2022年の11.4%から2023年の9.6%へ下がったのを見るとパーセンテージでは減ったが、絶対的な死亡者数を見ると17万5000人前後から15万2000人前後で決して少なくないのがわかる。
だが2024年はまた直葬が増えるだろうと。
これもまた数字のマジックから。
絶対数を誇る東京都の火葬の料金が値上がりをしたのと、神奈川県などの近隣の火葬場では市民ファーストがより徹底されたので特に都内からの搬送が少なくなり地元で火葬を余儀なくされるようにもなった。
しかも、円安で色々とコストが上がっているので、葬儀料金も例外ではなくなっているのは事実である。とくに移動費、ドライアイス費、保管料、光熱費が高騰化している。
これらの状況を踏まえると、どうしても「葬式不要論」が強くなってくる傾向がある。
誰のためのお葬式なのかが見えなくなっているのも事実である。
昔はメンツのためでもあり、大きな葬儀で追悼していたが、今は遺族の心のためが主体となっているところが大きく変わった。
そうなれば、お葬式でなくてもいいよね?ということにもなりかねない。
お寺さんとしては、そこにも「待った!」を掛けたい。
お寺との付き合いが減り、その存在価値も薄れてしまい、墓地も不要になっている。その考えがあると自然に葬儀も不要になるだろう。
戦後「葬儀不要論」の大元と言えば、白洲次郎氏だろうと。
そこは、大勢がお参りに来られたらとんでもないことになるだろうとお察しされたかと思います。
その後、2010年に宗教学者であり、葬送の自由の会の会長でもある島田裕巳氏の「葬式は、要らない」がベストセラーになり、話題を呼んだ。
言いたいことはわかる。
だが、果たして人は幸せになれるのだろうか?
その反論する本が同じく2010年に一条真也氏の「葬式は必要!」まで出ている。
実際、話が長くなりすぎるので、かなり割愛しますが、葬式仏教から葬儀不要論、そして葬儀必要論でバトルを繰り返すなか、大切なことは、今までの葬儀は不要だろうし、社会的処理及び自分へのケジメも必要だろう。
そこに僧侶がどう関わるのか、お経ではなく、一緒に話し合うのか、お祈りだけなら火葬場だけにしてもらうのか、故人とどうお別れするのかが大切でなかろうかと。
今の葬儀の形はあまりにも宗教要素もない、葬儀社のビジネス要素が強く、更にその先にネットブローカーの利益搾取が感じられる。
そんな状態なら仏教どころか宗教も要らないし、葬儀も要らない。
そうなると、葬儀場で近親者だけの弔いと、火葬場でのお別れだけで良くないかと考えてしまう。
葬式仏教と葬儀不要論の両方は人々が長生きしすぎて弔いを忘れた時代だからではないか。
今日のお話は皆さんで一度持ち帰って、自宅で考えていただきたい。
本日のお話は以上です。
ご清聴ありがとうございました。
また来週。
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