Season 5 Episode #181 ホスピスと葬儀、業者の境目

今回は配信が1日遅れまして、2024年 5月 8日の水曜日の配信です

ホスピスというのは終末期を迎えた人たちが緩和ケアをしながら去っていくところです。
老人福祉施設とは違いますのは、病院(クリニック)であるところです。
そして、入居者は全員自分たちの死を迎える準備をしているところです。
つまり、病気の治療ではなく、痛みや苦痛を和らげるだけの場所で、最期は穏やかに。

以前、横浜のクリニックで不審な死亡事件が発生しました。
そこは看護師がどうしても自分の当直で亡くなっては困るから他人の当直時に亡くなる仕組みを作って、殺人ほう助として逮捕されました。

日本の医療現場では「死」を完全否定しています。
唯一ホスピスだけが死を受け入れています。


どうしてもその人を生かさねばならないという義務感のように。
だが、災害時においては「トリアージ」の概念が導入されてから、まず「生きていけそうな人を助ける」ことになり(実際、重症度において治療の優先度を考慮する考え)、医療現場が逼迫しないようにするためです。

さて、ここで今、スコットランドで自殺ほう助の法案が提案されて、ホスピス関係者から懸念の声があがっている。

先ほど申し上げたように、自分の当直時間で亡くなっては困るという看護師たちからの声で、死を迎えることができない。
実際、遺族と対面せねばならないのは当直時の看護師であるから、遺族へのねぎらいの言葉が浮かばないことがある。

スコットランドのホスピスで波乱がありそう

まして、入居者が自ら死を選んだ場合、それを手伝ったということになればどう説明したらいいのか。
ホスピスでは緩和ケアだが、入居者の限界もあるだろう。
もう終わりにしたいという気持ちが出てくる可能性だってある。
実際、認知症になったら生存本能が優先されるからそういう考えはなくなる可能性が強いが、微妙なところだったら、もういいでしょうとなりかねない。


私は2018年9月にオランダのアムステルダム郊外にある認知症施設を見学したことがある。
そこでは誰一人もどんなに苦しくても自殺しようとは思わない環境であった。そして安らかに死を迎えるところでもあった。
早い人で入居から1〜2ヶ月、長い人で2年くらいの滞在だと言われた。
そして、全員がハッピーである。

オランダ郊外のHogeweyk という場所の認知症村

今回の懸念は、その亡くなるということがマスコミとが押し寄せて「見世物」的に死が扱われるのではないかと。
そのような現場では職員も集まらなくなるだろうと。
まして、スコットランドも人手不足なところでもあり、なおさら看護師が来なくなったらどうやって人を支えていくのだろうかと懸念の声が多く上がっている。
その対応でスタッフが本来の緩和ケアを与えることができなくなる可能性も出てくるだろう。


日本では「安楽死」は認められていない。
安楽死大国のスイスも規制を掛けるくらいの勢いになった。
日本も厚生労働省、法務省も老後と緩和ケアのガイドラインを明確にする必要がある。

まして、そのホスピスが葬儀場も兼ねるなら入居者が亡くなった人を正面玄関から出してあげれるくらい明るいところで必要ではないか?
今後、日本は高齢者のお一人さま死亡事例が増えてくるからこそ。
そして葬儀社がこれから生き残り作戦を展開するなか、葬儀の現場よりも川上の産業へシフトする可能性もでてくるだろう。
その場合、葬儀社は死に慣れすぎていて看護師と折り合いがつかないことにもなる。

多死社会を迎える日本はそこの教育が必要ではないか。
今日も、東京ビッグサイトで開催されていたウェルネスの展示会へ行って、生きることは当然、だがその先に必ず終焉があることを意識していないような気もした。


5月29日と30日にはパシフィコ横浜展示ホールでフューネラルビジネスフェアが開催される。
そこはすでに介護産業も生き残りを掛けて葬儀産業に入ってきていて、コラボできそうな葬儀社を探している。

まして日本は身寄りなき高齢者が増えてきて、下手したら葬儀会館がそういうところになりかねないと考えるのは考えすぎだろうか?