すべてが結果論ではじまり、そして終わる
私は現在58歳で、40年前、いや45年前の自分にもしメッセージが送れたら・・・
40年前だと18歳、1985年で高校3年から大学へ行くところ
当時は殺しても死なないような体を持っていた
そういえば、サッカー試合中にスライディングタックルで自分の足を下敷きにして腓骨を折ったな。
当時の自分に言えることなら
#親に従うな、絶対後悔する
#親兄弟を信じるな
#実家の家業には従事するな
#辛くても自分が進みたい道へいけ
#最後はそれが自分だ
#自分を信じろ
#さもないと一生、天にツバを吐いて過ごすぞ
#体は鍛え続けろ
45年前の自分だと13歳、1980年だと中学1年くらいか
この頃から何に対しても感情を持たなくなった
感情を殺すように生きるようになったのが
厨二病という言葉は当時なかったけど、このことか
それなら、それでいいじゃない
#体を鍛えろ、筋肉はウソをつかない
#心も鍛えろ
#直感を信じろ
#日本に戻ったら日本人は建前社会だから先生もクラスメイトも信用するな
#親、先生たち、友達に相談しても意味がない
#迷ったら楽しそうなほうを選べ
人の死生観はわからないことだらけです
なぜなら、その時の判断によってすべてが変わるからです
その一つひとつの行為によって人生の進む道が大きくかわります
人間は常に誰かのために生きています
そして、誰かのために戦っています
お葬式の打ち合わせを行くと、
多くの遺族から「あのとき、あれをやっておけば」と後悔の言葉を聞きます。
人生、どうやっても死んで、あの世に行ってからでないとわからないのです。
どんな選択肢を取ってもすべてが結果論
その45年前の判断がずっと尾を引くぞってWARNINGを出しておくのがいいのかな。
どんな判断を下しても、最後は自分が責任を取るしかないからね!
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